JCMR KYOTO 本公演 Vol. 1 「Emic/Etic~独奏曲の東西~」 続報 番外編

明日の本番に先立ちまして、クラウス・フーバーと細川俊夫の作品を演奏してくださる、江戸聖一郎さんの「現代フルート奏法」に関しての小論を掲載致します。


 フルートの特殊奏法

 現代音楽をほとんど聴いたことのない、あるいはそれをあまり好まない人々にとって、「特殊奏法」というものは奇妙な音のオンパレードでしかないであろう。フルートは、ピアノ、ヴァイオリンと並んで、クラシック音楽を代表する花形楽器であるが、戦後の現代音楽界において特に幅広く特殊奏法が拡張されてきた楽器であり(i)、多くの現代作曲家たちがそこに可能性を見いだし作品を残してきた、現代音楽の花形楽器でもあるのだ。
 1967年にブルーノ・バルトロッツィが『木管楽器のための新しい響きNew sounds for woodwind』を発表して以来、作曲家たちはそれまで「雑音」「鳴り損ない」としか捉えられていなかった木管楽器の音を、作曲のための素材として用いるようになった。バルトロッツィは同書の冒頭で、木管楽器の特殊奏法が、電子音楽の作り出す音響から刺激を受けて発展したものであると述べている(Bartolozzi 1967: 1)。人々が電子音楽によってそれまで不可能だった音響の構築を実現しようとしたことと、特殊奏法によって新しい響きの世界を切り開こうとしたことは同じ指向性を持っていたということができるであろう。例えば電子音楽的な発想から特殊奏法が用いられた例として、エドガー・ヴァレーズの独奏フルートのための作品《密度21.5》があげられる。この作品はキー・クラップス(ii)を史上初めて用いたものであるが、ヴァレーズはその中で、それまで人々が思い描いていた「フルートらしさ」というもの、楽器本来の自然な響きを完全に打ち壊したのである。彼は、この作品において楽器が持つ様々なリミットや制約を考慮せず、フルートにとって常識を超えていると思われるような音量、音域、音色(キー・クラップスによる打楽器的な音質を含む)を要求した。そこに見られる厳格なリズム、アタック、強弱の扱いは明らかに電子音楽の影響を受けており、《密度21.5》はその非西洋音楽的、非フルート的作風のゆえに「アンチ・シリンクス 」(Artaud 1994: 44)とも言われている(iii)。
 また、「非西洋音楽的」という言葉は特殊奏法の開拓において一つの重要なキーワードである。西欧の作曲家たちは自分たちの美意識の外にあるものに目を向けることで新しいフィールドを開拓しようとし、非西欧の作曲家たちは自国の伝統的な音楽の要素を創作に取り入れることで作曲家としてのアイデンティティを確立しようとした。それゆえに、特殊奏法と民族音楽の関係は緊密なものであるといえる。例えば、日本の尺八の演奏技法である「ムラ息」は激しいブレス・ノイズを伴う印象的な奏法であるが、作曲家たちの中には、フルートでムラ息を模倣した奏法を、"Muraiki"と記譜したり、「Shakuhachiの奏法のように」と解説を付したりしている者もいる。微分音程や振幅が極端に大きいヴィブラートも世界中の音楽に多くみられるものであるし、循環呼吸法もアフリカやアジア、オセアニアなどの地域に広く見られる。フルートと発音原理的に見て親戚関係にある民族楽器は世界中のどこにでも存在するが、作曲家たちは非西欧的要素を取り入れるために、それらの楽器の奏法を模倣したり、そこからインスピレーションを得たりしたのである。
 一方、作曲家たちが特殊奏法の開拓に情熱を注ぐ傍らには、必ず好奇心旺盛なフルート奏者たちがいた。なぜなら、フルートという楽器を熟知したプロフェッショナルな演奏家に頼らなければ、複雑な運指や微妙な呼吸などのコントロールを要する特殊奏法の実際の演奏効果の詳細を知る事ができないからである(iv)。実際のところ、具体的な特殊奏法のアイデアを考案・提供してきたのは物好きなフルート奏者たちの方であり(v)、彼らが作曲家に新作を委嘱することで、作曲家の特殊奏法を用いた作品の創作意欲をかきたてた。そして作曲家たちはと言うと、特殊奏法が演奏困難な、非常に制約の多いものであることを知りつつも、演奏家に演奏できるかできないかのギリギリの要求をつきつけてくる。そのような奏者と作曲家の関係によって、演奏技術と作曲技法の新しいアプローチが続けられてきたのである。
 しかし、現在では、特殊奏法がそれほど「特殊」なものではなくなったと言えるかもしれない。フルート奏者にとって、L.ベリオ、E.ヴァレーズ、武満徹などの特殊奏法を含む作品はもはや古典的と言うべき作品であり、現代音楽を専門とするフルート奏者でなくとも避けて通ることはできない。そして、作曲家にとっても特殊奏法はもはや「新しい響きを模索し、開拓する」といった実験的な試みではなくなり、当然選択できる音色素材のひとつとして定着したと言える。実験的な試みをやりつくしてしまった今、奏法の種類が増えるということはほとんどないであろうが、演奏家側におけるひとつひとつの奏法の演奏クオリティの向上、作曲家側における使用法の洗練、といったますますの「深化」が両者の重要な課題である。
(江戸聖一郎)
参考文献

アルトー, ピエール=イヴ/恩地元子 訳 1994 『現代フルート教本』 東京:ドレミ楽譜出版社
アルトー, ピエール=イヴ/久保洋子 訳 1997 『現代のフルート』 東京:全音楽譜出版社
泉浩 1996 『フルートの現代奏法』 東京:日本ショット
ニコレ, オーレル/植村泰一, 斉籐賀雄, 野口龍 共訳 1977 『フルート奏法- 現代音楽のための-』 東
京:シンフォニア
福島和夫 2007 「作曲家から見たフルート」 ムラマツ・メンバーズ・クラブ『季刊 ムラマツ』 第
97号2-5頁 東京:ムラマツ・メンバーズ・クラブ
Bartolozzi, Bruno. 1967. New sounds fo woodwind. Oxford: Oxford university press


注釈

(i) リード等を持たないシンプルな発音システム、大きな音孔、良く共鳴する金属製の管体、といった他の楽器にはないような、非楽音の発生・増幅を助長しやすい構造を持つ事が、他の楽器よりも幅広い奏法が可能である一因と考えられる。
(ii) キーを叩いた時に生じる雑音、あるいはその雑音を普通の音を組み合わせた音を用いる奏法。
(iii) C.ドビュッシーの独奏フルートのための作品《シリンクス》を、フルートの自然な響きを存分に生かした、伝統的なフルート作品の一つの頂点とみなした上での「アンチ」である。
(iv) 例えば、同時に複数の音を出す「重音奏法」は、その名だけ聞くとフルートで様々な和音を自由に奏することができるような印象を受けるが、実際は限られた音程(そのほとんどが不協和音程である)を、限られたダイナミクスの範囲内で、極めて複雑な運指によって絞り出すような雑音の多い音質でしか演奏することができない。そのため、重音を用いる場合はよく研究調査した上で用いなければ、意図した演奏効果を得られないどころか、全く演奏不可能なものとなることも起こりうるのである。
(v) 例えば、武満徹の《ヴォイス》は、フルート奏者のオーレル・ニコレが武満に委嘱した作品である。ニコレは特殊奏法の教材として用いることを念頭において「重音奏法を意識的に多用して欲しい」と注文をつけたのだが、結果的に《ヴォイス》は重音奏法にとどまらず、声やパーカッシヴ・エフェクトを効果的に多用した作品となった。